2019-01-17
【助産師になって20年】
Birth Keeper 竹内です
今日は阪神大震災から24年。
兵庫県出身の私は、ものすごい揺れで目が覚めました。
その数日前に神戸で受験をしたこと、
通学で神戸が復興していく様を3年間見続けたこと、
もうあれから24年が経ったのだ・・・
あらためて、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
今年は助産師になって20年目であります。
助産師学生のときに切迫早産で受持ちをさせていただいたSさんとも、今年年賀状で近況報告をさせていただきました。
あの時お腹にいた赤ちゃんも20歳、今年は成人式です!
お母様にそっくりだな〜と年賀状を拝見いたしました。
Sさんが出産されるときには実習が終わっってしまっており、出産に立ち会うことはできなかったのですが、出産のあと学生の私にお手紙を書いてくださいました。
毎年、その手紙の内容をSさんの年賀状を見ながら思い出すのです。
お手紙の中身を要約しますと
『ぜひ切迫早産から出産になった人の産後のことを知っていてほしい』
という内容でした。
Sさんは張り止めの点滴を止めてから数日で出産になりました。
超がつくほどのスピード安産でした。
しかし切迫早産になって2ヶ月間の安静でSさんの筋力はボロボロになっていたのです。
Sさんは産後の入院中も赤ちゃんを抱っこするのがやっと。
でも他のお母さんたちと同じように授乳や育児指導のプランが立てられます。
通常日数で退院されたのですが、退院後泣いている我が子を抱っこする筋力もなく、5分と抱っこできない自分が情けなくて悔しくて涙が止まらなかったと教えてくださいました。
周りからは
「早産にならなくてよかったね」
「もう大丈夫だね」
「母子ともに元気でよかったね」
と言われますが、Sさんの心身はボロボロだったそうです。
無事でよかったけれど、子育てする自信がない・・・
これから助産師になる私に、安静入院をした人がどんな想いで育児をしているのかを知っていてほしい、ぜひそんな人に寄り添える助産師さんになってほしい、と思って手紙にしてくださったそうです。
Sさんの病室に行くといつもニコニコ楽しくお話をしてくださり、明るい笑顔が印象的だったSさん。
Sさんと私、どちらかが引っ越しても、これまで20年間年賀状を続けています。
私が学生の頃は、切迫早産といえばとりあえず寝たきり。
「トイレ洗面のみ可」
シャワーは軽症の切迫早産の人だけ。
ほとんどの切迫早産の妊婦さんは清拭で過ごされていました。
最近は、切迫早産の妊婦さんには理学療法士さんとのチーム医療で筋力の維持などのケアが行われていると聞きます。
とてもいい取り組みだと思います。
助産師になって20年
これまで関わってきた方々から学ぶことがたくさんありました。
妊婦さん・産婦さん・褥婦さん・赤ちゃん
一人として同じ人はいませんものね。
それぞれに、これまでの人生があり、これからの子育て環境があり、未来があります。
関わる方のこれまでのこと、これからのことを全てひっくるめて
「寄り添える助産師」
でありたいと思います。
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