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2018-09-14

おもしろ乳業会社

ブログ連投のBirth Keeper竹内です。
 
今日はみなさまの興味がない内容かもしれませんが、
ブログにしました。
 
 
私は兵庫県の田舎で育ちました。
家の周りには田畑がたくさんあり、実家は両親(祖父も)ともに酪農業で生計を立てていました。
 
牛乳は市販品を買ったことがなく、毎日家でとれた新鮮牛乳。
学校給食で牛乳を飲んだときは「薄っ!!」と驚きました。
今でも牛乳そのものを飲むことにはちょっと抵抗があります。
 
生まれた時から50頭近くの牛がいる牛舎が家の隣にありました。
ですので、牛の交尾や命の誕生がそれほど特別と感じることもなく、
季節が来ればそれは普通のできごとでした。
 
夜中に牛の鳴き声が家の方まで響くときは
「今夜生まれるんかな」とか
生まれそうな牛がいないときは
「一頭放れたかな」
と子どもながらにわかりました。
 
一頭の声が大きく、周りの牛も時々泣くときは「生まれる」。
たくさんの牛が鳴いているときは「放れたかも」。
 
私「おとうさ〜ん、めっちゃ牛が鳴いてるで。」
父「ああ、初産がおるんや。今晩生まれるんや。」
家でそんな会話をしている親子はそう多くないと思います。
 
父親は牛の食欲や産徴で産む時期を予測し、牛舎に近いところで寝ていました。
経産牛の場合は、朝になって子牛が走り回っていることもありました。
経産はやはり予測がつきにくく、進み出したら早かったのでしょう。
 
難産や逆子ももちろんありました。
難産の時は「ザ・吸引」です。
見えている子牛の前足にロープをくくり、家族で引っ張るのです。
子どもの私も何度か手伝いをさせられました。
マンパワー欲しさにご近所さんを呼びに行かされることもありました。
やはり緊急時は牛も人もマンパワーです。
 
子どもの頃から、生き物の生死が当たり前の環境で育った私。
飼っていたヤギやニワトリは太ればいつのまにか父に食されていました。
どんな父やねん!!ってツッコミたい方はまたお話ししますね。
 
 
そんな実家の昔話をしたのはなぜかというと、
今日スーパーで
『木次乳業』(島根県出雲市)の牛乳を見つけたから。
 
以前セミナーで
母乳を大切にしている乳業会社もあるんだよ、と聞いたことがありました。
おお〜噂に聞いていた側面。
 
なるべく母乳を・・・
母乳でなくても安全なものを赤ちゃんに与えたい。
378円もしたけれど・・・
パスチャライズなので実家の牛乳の味とも全然違うけど・・・
 
初めてお目にかかれて嬉しかったので、記録として残しておきます。
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